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●不思議な魅力の孤島
マダガスカルはアフリカに一番近いアジアの国である。世界地図を広げるとインド洋の西の端にポツンとあるが、面積は日本の1.6倍あって世界で4番目に大きい島である。南緯11度から25度の熱帯と亜熱帯に属し、広い国土の大半が未開の大地である。
祖先はマレー・ポリネシアあたりからの漂流民といわれ、18の種族が共存し人口1、200万人の農業国である。この内、海抜1,400mの中央高地にある首都アンタナナリヴに150万人が住んでいる。
1960年フランスから独立した共和国で、常用語はマダガスカル語とフランス語である。
この国の人々は独自の死生観を持ち「先祖の島」、「悠久のときが流れる島」といわれ、ここにしか見られない異文化が漂っている。そして他の大陸から隔絶した孤島であるため固有の動植物が数多く生息し、不思議な魅力を持った島である。
しかしながら、自然破壊が急速に進んでいて、この貴重な「世界の財産」も年々失われつつあるのが実態である。成田を発ってシンガポールとモーリシャスの中継地でそれぞれ長い待ち時間を経て、2日がかりでやっとアンタナナリヴの空港に着いた。マダガスカル大地へ第一歩を踏んだ時には、12月29日の太陽が西に傾きかけている頃だった。
アンタナナリヴの市街までは車で約30分かかる。米を主食にしている国なので車窓には稲作の田んぼが続き、手作業で田植えをしている風景は日本の昔の農村の姿にそっくりである。畦道や水溜りに白いヒヤシンスの花が多くみられ、沿道には真紅のポインセチアが我々を歓迎しているかのように咲き誇っている。
ポインセチアはマダガスカルの国花だとガイドが説明してくれた。
夕方の町中は人、人、人で溢れ、露天のマーケットが賑わっている。子供が多いのが特に目立つが、粗末な衣類を身につけ、素足で歩いている。

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「星の王子さま」で有名なバオバブの木


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●空から雄大な大地を
ここアンタナナリヴで一泊し、次の日は早朝の国内便で西海岸のチュレアルを経由してマダガスカルの最南端の町、フォール・ドフアンヘ向かう。
この町の西90kmに位置するベレンティ動物保護区を訪れるためだが、幸い快晴に恵まれたのでこの国の南半分を空から見下ろすことができた。大部分は赤土の山肌がむき出しのままで、山火事か炭焼き、または焼き畑農耕のためか、樹林地帯の所々に白い煙が立ち上がっている。政府は国土が年々荒廃するのを憂慮して、ユーカリの植樹をしたり緑化に努めているが追いつかないようである。
フォール・ドフアンの小さな飛行場には小型マイクロバスが待っていた。ここから南マダガスカルの拠点であるフォール・ドフアンの町へは車で10分位で着く。沿道には露天マーケットが延々と続き、衣類や食料品、日用雑貨などが並べられている。また生きた鶏を入れた篭がいくつも置かれているが、日中は日陰でも38度の暑さなので、人も鶏もぐったりしている。
赤ん坊をお腹に抱え、頭上に荷物を載せた素足の女性が行き交う。町から動物保護区までは、道路が悪いので3時間ぐらいかかると聞いていたが、折悪しく途中の橋が工事中で2時間ぐらい待たされる。しかし時間を気にしているのは私たち日本人だけで、現地のドライバー達は慌てることなく悠々としていた。川辺ではコブ牛がのんびり草を食べている。山道を進むにしたがって田んぼが少なくなり、人家もまばらになってゆく。家といっても一間だけの小屋で、たいていの家に数人の子供が居るようで、バスを降り近くの子供に飴を差し出すと、何処からともなく大勢集まってきて、たちまち長い行列になる。着ている衣類は町の子供より更にひどく汚れ破れている。
マダガスカルの児童の就学率は60%と聞いていたが、農村部では更に低いであろう。医療体制の不備から乳幼児死亡率も高いとか。
私はこのあどけない子供たちの将来の幸せを、祈らずにはいられない。 
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タコノキと筆者

旅人の木
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●奇妙なバオバブの木に
人里を離れると、このあたりはマダガスカルの固有植物の宝庫である。食虫植物のメペンセス(ウツボカズラ)等が繁茂し、ラヴェナラ(通称、旅人の木)も多い。大きな扇子を広げたような葉の付け根に水が貯えられ、旅人が喉の渇きをいやすことから名付けられたという。
ラヴェナラはマダガスカルの「国の木」だそうで、国営・マダガスカル航空のマークにもなっている。
また蛸(タコ)が空中に向かって、足を何本も投げあげたような形をしているタコノキ(ディディエレア科)と称する木が密生している風景には、目を丸くするばかりである。幹の先が3つの面を持っている三面椰子も、世界中で此処にしか無いという。しかし何といっても私が期待していたのは、バオバブの木である。バオバブの木は、フランスの作家サン・テグジュペリの「星の王子さま」にも出てくるので知っている人も多いと思うが、今私の目の前にあるのは、まさにそのバオバブなのである。
太くて丸い幹の上に小さな枝と葉がつき、根を空に向かって逆さまに立っているような奇妙な姿は、何とも言えない愛嬌がある。
坂は次第に下り坂となって、その先に大きい集落とマンドラレー川が見えてきた。マダガスカル第2と言われる長い橋を渡ると、川の浅瀬には人々が集まって洗濯をしたり、水遊びしているのが見える。川はある種の社交場になっているようである。
やがて日本の竜舌蘭に似たサイザルの畑が道の両側に開けてきた。フランス人が60年前からこの半砂漠地帯を開いて栽培し、今日では3万エーカーに及ぶ広大な規模になっている。麻繊維の加工工場や、これから私たちが向かうベレンティの動物保護区とバンガローの従業員など含めて、約1、000人のマダガスカル人が雇われている。この企業は社会主義国としては特別扱いで、この国の産業界に貢献してきたそうである。
澄み切った空気と広く青い空の下で、私は思わず深呼吸したくなる。
太陽の傾きかけた西の空の下には、400kmのモザンビーク海峡を隔ててアフリカ大陸があり、その先には大西洋が〜、などと遥か彼方に思いを馳せる。

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バオバブの木
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●シファカ得意の横跳び
待望のベレンティには夕方に着いた。バンガロー前の広場には早くもワオキツネザルが数匹現れた。長い尾に黒と白の輪模様が特徴の猿で、町から買ってきたバナナを与えると嬉しそうに寄ってくる。
シファカも2匹出てきて2本足で立ち、得意の横っ飛びの妙技を披露する。
日が暮れるのを待って、夜間の動物探索に出かける。真っ暗なブッシュの中を一行8名は一列に連なり、銘々に持った懐中電灯を照らしながら進む。
地元のガイドは流石で、タコノキなどの密生した枝に間に棲むカメレオン、ブラウンキツネザル、フクロウ、モズなど暗闇の中から次々に見つけ教えてくれる。自然と共に生きている人達の視力はすごいと聞いていたが、その通りだと思った。
夜空には降るように星が輝き、南十字星やオリオン座がとても大きく近くに見える。
バンガローの夜は、10時から朝6時までは停電なので真っ暗である。マラリア予防のため、ローソクの火でつけた蚊取り線香を何ケ所にも置く。
翌朝はまだ夜の明けないうちに、動物たちに起こされた。かん高い鳥の声が響き、バンガローの屋根をどすんどすんとワオキツネザルの大群が跳び回り、猫に似た鳴き声をあげている。ベッドを離れて高窓を開けると、5時というのに外はもう明るい。身支度をして広場に出ると、そこには何十匹ものワオキツネザルが飛び跳ねて、サボテンの花を採って食べている。
朝食のあと、マダガスカルホシガメやゾウガメが飼育されている所を見てから、ベレンティ保護区の動物探索に出かける。マンドラレー川が近いこのあたりの鬱蒼たる自然林で、夜行性の動物は静かに潜んでいるが、ワオキツネザルやシファカなどは元気に飛び跳ねている。
ここで2人の日本人大学生に出会う。彼らは5ヶ月前から来て、ワオキツネザルの生態の調査研究を続けているという。一匹一匹の似顔絵を描き、名前をつけて記録し、それぞれの一日の行動を克明に観察しビデオに撮っている。
一昨年、東京・夢の島で「マダガスカル展」があり、私はそこで京都大学の先生から「全世界の原猿とカメレオンの殆どの種類が、この島に集中している」と説明していただいた。先生はスケトベ、モズ、アイアイなど絶滅寸前の小鳥や動物の研究をするために、何回かマダガスカルへ足を運ばれたそうである。同胞にこうした若い学生や学者がいることを頼もしく思った。
アフリカのような猛獣の「天敵」がいないこの島は、かって動物の天国であったという。この島に17世紀まで生息した巨大な鳥エビオスが、絶滅したのは残念なことだ。絶滅の原因は人間による乱獲であろうか、彼らにとっての最大の天敵は我々人間なのか・・。そんなことを考えながらカメラを構えて木陰に潜んでいると、シファカ数匹が例の横跳びで小径を横断して行った。
この時期、南半球のマダガスカルは真夏で、半砂漠地帯の日中の日差しは厳しい。木陰でゆっくり昼休みをとってから山を降りる。帰路バオバブの群生地へ寄り、昨日と同じ山道を下ってフォート・ドフアンに戻る。

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ワオキツネザルの群れ



シファカの横っ飛びのようす

メリナ王朝「離宮の城門」
右端にある円盤系の石を転がして閉門する
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●熱帯夜で明けた正月
1994年の大晦日は熱帯夜であった。窓を締め切りにして蚊取り線香をたくのだが、冷房設備や扇風機のない部屋は暑くて閉口した。
元旦は町の人達の大きな歓声で起こされた。ここの猟師たちの元旦の慣習らしく、大きくて長い叫びだった。新しい年の迎え方は国や地域によって様々なのだとつくづく思う。海岸へ散歩に出ると、静かな入江に小船が繋がれ、のどかな正月風景である。漁師の親子が野外の七輪で魚を焼いていたり、家族の団欒風景を各所に見かける。
私はこの数年来、見知らぬ辺境の地に惹かれて、アフリカや南米の僻地で新年を迎えてきた。南マダガスカルの鄙びた猟師町を歩きながら、今回の旅も私の期待を裏切らなかったことに感謝し、今年も一年間平穏であることを祈った。
午後の国内便で、再び首都のアンタナナリヴに戻る。南部の田舎町や村を廻って来た目で町を見直すと、人も建物も町全体が都会的に映る。
この町の象徴は丘の上に偉容を誇る女王宮であるが、道幅70mの独立記念大通りの両側に、商店やホテル、レストラン、航空会社などが並んで市の中心街をなしている。そしてフランス植民地時代の格式ある古い建物も多く残っている。しかし市民の生活に密着しているのは青空市場である。この町最大の「ゾマのマーケット」は有名で、特に「金曜の市」の賑やかさは大変なようである。
数百軒が並ぶこの大規模な野外マーケットの中を歩いてみると、花、野菜、果物、穀物、スパイス類、魚、肉、飲み物などが色とりどりに並べられている。まだ生きたままのニワトリ、アヒル、ガチョウも売られている。そしてカラフルな衣料品、皮革製品、工具、雑貨、宝石、家具類も、さらに使用済みの瓶を売る店まであるのには驚く。香料が豊富なこの国らしく特産のバニラや、匂いのある草の束・木片類が何十種も広げられて、独特な匂いが漂ってくる。頭の上に篭を載せてバニラを売りに歩く女性が何十人も行き交う。
マダガスカルの代表料理はコブ牛の肉を、米やキャベツなどの野菜と一緒に煮込んだ「ルマザフ」である。またトマト、大豆、くるみ、タマネギのピクルスなどを混ぜ合わせた肉料理の付け合せ「アシャール」などもあるが、淡白な味が好みの私には少々苦手であった。暑くて喉が渇くのでビールをよく飲んだが、まずまずの味であった。

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ゾマのマーケット
色とりどりの野菜、果物、衣料や雑貨
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●お墓こそが永遠の住居
アンタナナリヴの北方25kmの郊外の丘にアンブヒマンの城跡がある。マダガスカルに人が住み始めて以降、続いていた各地の部族の乱立を統一したメリナ王が1785年に築いた王城で、城門には転がして閉門するための直径4m以上の円盤形の石がそのまま残っている。また山上に立つと、アンタナナリヴの町が遠望できる。
郊外では立派な墓が目につく。死は生からの断絶ではなく、より高い「先祖」の位に昇華するステップに過ぎない、という死生観を持つこの国の人たちは、「お墓こそ永遠の住居」と、自分たちの家のそばに造って日々の出来事を報告し、家族の一員として尊敬する。何年かに1回は、乾期に「ご先祖」のミイラ化した遺体を墓から取り出して再開を喜び、屍衣を新しく取り替え、近親者でお祭りする行事がある。生前の生活は貧しくても、死後高価な絹地の屍衣をまとう願望を強く持っている。
マダガスカル人は遠出をしたがらないという。外国企業で働く場合、雇用契約の中に「万一、外国において死亡した時、遺体は直ちにマダガスカルに送り届けられたし」との条項を要求し、給料より重視するそうである。「先祖」になることがいかに重要かを物語るエピソードといえよう。
そもそも私が、マダガスカルに関心を持つようになったきっかけは、十数年前に曽野綾子さんが、毎日新聞に連載した小説「時の止まった赤ん坊」を読んだことだった。これは首都の南方170kmにあるアンツィラベの町にある修道院の産院で奉仕している日本人女性と、貧しい生活を送る現地の人々との交流を描いた長編で、人間愛に満ち溢れていた。
今回はこのアンツィラベを訪ねることは出来なかったが、主人公の「入江 茜」のモデルになった遠藤能子さんは、今もご健在で奉仕を続けておられるそうです。この小説の中で曽野さんが繰り返し書かれた貧困は、今日も変わっていない。そして国土の全域にわたって森林破壊も進んでいる。
私は短期間滞在した旅行者に過ぎないが、この同じ地球上に生きる人間として、家族の固い絆を持ち心優しいこの国の人々の幸せを願ってやまない。…しかしながら、独特の「死生観」を持ち、自然と共に暮らしているマダガスカル人から見れば、常に時間に追われてあくせく働き、溢れるばかりの「モノ」に囲まれた私たちの暮らしの何処が幸福か、ということになるかも知れないが。
マダガスカルは、夕陽の美しいことで有名である。最後の日は朝から曇っていたが幸運にも夕方にはよく晴れた。アンタナナリヴの西に連なる山の窪みに、血のような赤い夕日が沈んでゆく・・。
1995年2月
(筆者 東京タイル(株)取締役会長
大久保第二支部・副支部長) |


正月風景(フォール・ドヴァンの海辺にて)
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マダガスカル旅情1995.01
焼き畑の煙りおちこちに立ちのぼるマダガスカルの上空を飛ぶ
空港を出づれば大地の夏日照りポインセチアの赤き野の道
「旅人の木」の濃き葉繁りの下にして超大型のウツボカズラの花
こぶ牛がつながり渡るマダガスカルの川に素裸の子ら泳ぎおり
群がりしワオキツネザルの鳴く声に目覚めて開くバンガローの窓
元朝のマダガスカルの漁師町初夢やぶる歓声の湧く
見はるかす乾燥大地の夕映えにバオバブの幹は太々と立つ
バオバブの幹と葉に映えマダガスカルの
はろけき野辺に赤き日の落つ
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