●ただただ驚嘆!
ナイル流域の古代文明
砂漠の中に5,000年の歴史を育んだ母なる川、ナイルの悠久の流れ。ここに世界最古の文明の一つがはじまり、その大地に壮大な遺跡を今も残しているエジプト。このエキサイティングな地に足を踏み入れて、心を打たれない者がいるだろうか。
紀元前3,000年頃、すでに1年が365日であることを知って暦を作り、人類最初の文字を生み、また優れた土木技術により巨大石造建築物を次々と構築していった古代人のエネルギーには、ただただ驚かされるばかりである。エジプトは日本の約2.7倍の面積だが、国土の97%までが砂漠のために、人々はナイル川流域に寄り添うように生活している。そして人口5,000万人のうち92%までがアラブ系イスラム教徒である。
●ピラミッドとスフィンクス(カイロ近郊)
1990年の12月30日早朝、カイロ国際空港に降り立つ。
首都カイロはアフリカ第一の都市で、古くから東西交流の拠点として、またアフリカ大陸への入り口として繁栄してきたエネルギッシュで喧騒の街だ。
最初に訪れたエジプト考古学博物館は、収蔵品が十万点もあり世界有数の規模であるが、中でも圧巻は1922年に王家の谷で発掘されたツタンカーメン王墓の埋葬品である。
ツタンカーメン王の黄金のマスクをはじめとして、副葬品として収められていた宝石類や、まばゆいばかりの黄金製の品々が所狭しと展示され、当時の強大な王権をうかがい知ることができる。
次に、その絶対権力の象徴とも言うべきピラミッドを見にカイロ近郊のギザ地区を訪ねた。ここは並んで建つ3つのピラミッドとスフィンクスで有名だが、その中でも世界最大と言われているクフ王のピラミッドは、紀元前26世紀の建造といわれ、基底部が230m四方で創建時の高さ146.7mと、実に雄大なものである。スフィンクスもまた、ピラミッドとならび称される巨大な石造物だが、共に長年の風化による損傷がひどく痛々しい。このような遺跡の前に立っていると、いつかは消えゆくものへの限りない愛惜の情が湧いてくる。
●往古の栄華ほうふつ、
カルナック神殿(ルクソール)
2日目は、早朝の飛行機でナイル川上流670kmのルクソールへ向かう。
古都ルクソールは、紀元前21世紀に首都として繁栄したところで、ここにも神殿、ネクロポリスなど多くの遺跡が残されている。
まず、エジプト最大というカルナック神殿を訪ねる。40頭のスフィンクスが並ぶ参道、高さ43mの塔門、ラムセス二世の巨像、23mもの丸い石柱が134本も立ち並ぶ大列柱室などが続き、往古の栄華を偲びいつまでも立ち去り難い心境である。
また、ここより3km程離れたナイル河畔のルクソール神殿にも、第一塔門やパピルスを浮き彫りにした列柱群、オベリスクが荘厳に聳え立っている。ナイル川の洪水の際の水位を刻んである石柱を仰ぎ見て、この川の氾濫の激しさを実感する。そして神殿の造営にあたって、この巨大な石材を上流のアスワンから運ぶのに、毎年繰り返す洪水の力を利用したと聞き、その英知に感服した。ナイル川を隔てた西岸は死者の都である。ネクロポリスの丘と呼ばれるこの地域の墳墓群をすべて見るには、1年を費やさねばならないと言われるほど壮大なスケールだ。歴代ファラオの墓が現在までに64ヶ所発見されているが、そのほとんどは既に盗掘されてしまったようである。公開中のいくつかの墳墓を見ると、岩盤を何百メートルも掘り進んだ通路や玄室(王棺を収めてある部屋)の壁・天井に彩色壁画が描かれ、往時の生活の模様を垣間見ることができる。 墓盗人村と呼ばれるルクナ村の中心地を通り抜け、暮れなずむナイル川を船で渡ってルクソールの街へもどった。
●水没から救われた
アブ・シンベル神殿
次の日も天気に恵まれ、ガイド氏の案内でバンガロア村の朝市に立ち寄った後、バイフの海岸へ出る。下向きに倒されている何体ものモアイ。胴体と頭とが離れ離れになっていて、その隙間にはタンポポが咲き、浜風になびいている様は何ともいえず可憐である。
次はイースター島遺跡のハイライトともいわれるラノ・ララクへ向かう。ここはモアイの製造基地跡である。遠くから岩山の裾に目を向けるとポツンポツンと豆粒のようにモアイが見える。伊豆大島ぐらいのこの島の各地に点在するモアイはここから切り出されとか。現在ラノ・ララクには390体のモアイが取り残されている。あるものは倒れ、あるものは埋まり又造りかけのまま虚しく宙を見つめている。最大のものは体長21、6m、重さ約344トンと推定されている。私は一つでも多くのモアイを見ようと歩きまわり、惹かれる思いを残したままラノ・ララクを後にした。
●古代の石切り場で見る
未完の巨大オベリスク
翌日の午前中は自由時間だったので、私は南北1.5kmの細長いこの島の南端に散在している古代の神殿跡を見て廻った。崩れた石柱が川岸に倒れていて痛々しい。ナイル川の岸壁に、水位を測る目盛りが刻まれているナイロメーターに手を触れながら石段を降り、岸辺で客待ちしているヨットに乗ってホテルに戻った。
午後はアスワンハイダムを見学してから、古代の石切り場を訪ねた。長さ41m、重量1.152トンと推定される未完成のオベリスクが横たわっている。岩の亀裂のために切り出しを中止したものである。
遥か900kmの彼方、カイロまでの帰路は寝台特急列車を利用した。16時間かかり揺れもひどくとても安眠どころではないが、砂漠を走る夜行列車の旅は貴重な体験である。 午後4時アスワンを発って一路北進する車窓には、リビア砂漠に傾く夕陽が輝き、時間とともに淡い光となってゆく。小さな部落の日干し煉瓦の家がその残照に映し出され、黒衣の人が見えかくれしている。5,000年の歴史を包み込むかのように、やがて辺りは漆黒の闇となっていった。
(東京タイル株式会社・会長
大久保第2支部副支部長)