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『楽其楽園記(らくきらくえんき)』により庭園の様子を見てみましょう。まず、園の周囲は竹垣がめぐらされ、門は現在の戸塚警察署の南寄りにあり、入ると再び冠木門(かぶきもん)がある。中に南面して立派な建物「乃辰館(だいしんかん)」、後ろに二本の大きな樅(もみ)が天に聳えている。庭西側の小門には「楽其楽園(らくきらくえん)」扁額(へんがく)。門を出ると牡丹(ぼたん)、芍薬(しゃくやく)、薬草あり「花欄」。苔(こけ)むした径(みち)の先は鬱蒼(うっそう)と樹々が茂り、清々(すがすが)しい竹林を過ぎると「寥々門(りょうりょうもん)」。門の内は梅樹百余株。地を這(は)う枝を延ばした古松十余、その西には四阿(あづまや)「秋琴処(しゅうきんしょ)」。林に入って北へ向かうと優雅な赤壁の板屋の茶室「穆陀寮(ぼくだりょう)」がある。前に苔(こけ)の生えた大きく風変わりな手洗石盤(てあらいせきばん)。主人(堀大和守)はここに客を迎えて湯を沸かし、茶を点(た)てて風流の持てなしをする。茶室に接して小屋「(ひすいえん)」があり、僅か数人を容(い)れるばかりであるが、壁面に名瓦を嵌(は)め、欄間(らんま)にはさびた彫刻を用い、窓外に遙か高田や落合の村々が眺められる。ここは神田川を下にみる崖上にあたり、鳥の囀(さえず)りや四節の変化による周囲の草木の彩(いろど)りの移り変わりは素晴らしい。再び西に行くと道は狭くなり、左右はつつじが繁り、初夏には燃えるような鮮紅がいい。道が尽きるとつつじの中に白砂の敷かれた馬場になる。「曳練(えいれんしゃ)」という。幕閣ともなると風流ばかりではなく武事も考えるのであろうか。馬場を出て北に行くとつつじの「留春境(りゅうしゅんきょう)」、秋の七草が周囲に咲き乱れる道端の小憩舎「商囿(しょういゆう)」があり、さらに西に樹木の中を下り、背丈を越す茅原を行くと両崖に楓(かえで)の茂った曲がりくねった川に橋「躡紅橋(じょうこうきょう)」が架かっている。これを過ぎると一丘があり、周りを松檜(まつひのき)に囲まれた社(やしろ)があって菅原道真(すがわらみちざね)の像が安置され、「天満宮」の額と銅燈籠(どうとうろう)。社の北側を廻って石段を下ると左右は皆楓林。石段が尽きると淀んだ淵(ふち)になり、その右側崖(がけ)の中腹に砂泥で厨子(ずし)が造られ、茅(かや)で楕円の蓋(ふた)、朽木(くちき)で作られた扁額(へんがく)に「維摩龕(ゆいまがん)」、前に緑青のういた銅製燈籠(とうろう)、また橋柱を燈としたのも珍しい。左右の棕櫚(しゅろ)と熊笹(くまざさ)は互いに映じて幽玄(ゆうげん)。———この後、神田川に沿った低地部の景勝が続きますが、退屈な説明文なのでこの辺りで終わることにします。現時点では庭園の絵図は見つかっていません。今からおよそ百七十年以前に安積艮斎(あたかこんさい)が書いた漢文の庭園記によって、戸塚警察署の南辺りから西に高台部を進み、旧戸塚特別出張所の北側に下った辺りまでを現在の地形と対比しながら空想を交えて辿ってみました。白髪三千丈のような誇張した漢文の表現とあいまって、現状は極端に変化しており想像しがたい箇所もあります。幸いにも江戸時代の様子を相当まで残している明治後期の地図があり、また、史料によって庭園になった土地(抱屋敷)所有者の変遷も判明。諏訪町の玄国寺脇の池を水源とした流れが早稲田通りを横切って旧戸塚特別出張所前の谷を経て低地で蛇行して島を作り、沼地を形成して神田川に注いでいたことが分かって庭園記の記述が納得されたりもしました。
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