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二百年程前の文化六(一八〇九)年六月十四日午前十時頃、新宿区内の淀橋に近い農村、角筈村淀橋町でちょっとした事件が起きた。源蔵の家に身を寄せていた姪むめのところに、突然やくざ風の男がやって来てむりやり連れ出そうとした。裸足で逃げ廻るむめを追って男は思い切り殴りつけ喚きながら刃物をぬいて迫った。突然の悲鳴と騒々しい物音に驚いた近隣の人々は家を飛び出し、手に手に棒切れなどをもって怯む男を押さえつけた。事情は分からないものの咄嗟の防衛である。男は訳の分からないことを喚きながら暴れ、一向におとなしくなるどころか、悪口雑言に及んだ。困り果てた結果、男を縛り上げ、家主、五人組、名主を交えて相談の上、代官所に訴状で訴え、犯人の逮捕を願い出ることにした。ここで、むめと叔父源蔵からこのようになった理由を聞くことになった。
現在、むめは二十八歳になるが、子供の頃は両親とともに板橋村に住んでいた。十二、三歳の時に両親が亡くなり孤児になった。知り合いの世話で料理屋の下働きをして何とか生き延びたが、年頃になって、よい働き口を世話するという男の口車にのって前渡金を持ち逃げされた。本人の知らない間に売り飛ばされた訳である。酌取り(酒の相手をする)奉公という名目で売春の苦界入りである。岡場所を転々として捨て鉢な生活が続いた。やがて内藤新宿の旅籠屋喜之助の所で働く中にやすらぎを見付け、年季(契約期限)が明けたのを機会にささやかながら家を構えることにした。そして偶然にも角筈村の叔父源蔵と再会したのである。源蔵は兄夫婦の没後、行方不明になったむめを探し廻ったが分からないまま諦めていたのであった。こんな時、むめの所に入り浸りになっている伝吉が、再度、身を売って稼ぐことを強要しはじめた。むめは逃げ出し、源蔵方に身を隠した。やがて伝吉はむめの居場所を突き止め、叔父源蔵の留守中を目掛けて連れ戻そうと襲ったのであった。
この訴状をはじめ、角筈村の名主(渡辺)伝右衛門が提出した文書の控え七通が『渡辺家文書』として残されている。文書の日付に従って事件の処理がどのようにされたのか見ることにしよう。
事件当日は浅草橋近くの角筈村支配の大貫次右衛門代官所に急を知らせたが、役人から村方の対応を指示されたのみで、犯人の身柄を責任をもって確保するよう命じられ、村人たちが交代で見張り番をした模様。と同時に犯人の住む内藤新宿の名主吉田嘉内にも事件を知らせ、伝吉の家主七兵衛を呼んで説得を要請するが不調。訴状の作成が平行して行われ、やっと翌十五日に出来上がる。この時点で訴人になった叔父源蔵をはじ、角筈村の村役人(名主・五人組・家主)たちは疲れ果て、裁判に持ち込むことの大変さを痛感させられたのではなかろうか。代官所役人から煩雑な裁判を避けて内済(示談)にするように強要され、源蔵に家主・名主が付添い、内藤新宿の関係者も巻き込んで、連日、浅草橋の代官所まで歩いて往復しなければならないのかと考えると気が重くなるのは当然である。
『渡辺家文書』(慶応大学蔵)
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