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新宿駅東口広場の北西角、新宿通に面して「伸びゆく新宿」の詩碑がある。ご存知でしょうか。高さ一・八メートルの大理石の台石の上に、芽を形どった二メートルのブロンズ像、台石には西条八十の詩

武さし野なりしこの里の 昔のすがた偲ばせて
 小畦の花のむれと咲く ビルのネオンの赤き花
が刻まれている。昭和四一年六月に新宿ライオンズクラブの寄附で作られた。いま、碑の前面は真っ赤なサルビアの花が満開である。

新宿駅東口広場の西条八十詩碑
「伸びゆく新宿」

 ところで、作詞者西条八十は有名な「かなりや」

唄を忘れた金糸雀は
うしろの山に棄てましよか。
いえ、いえ、それはなりませぬ
唄を忘れた金糸雀は
背戸の小藪に埋めましよか。
いえ、いえ、それはなりませぬ。
唄を忘れた金糸雀は
柳の鞭でぶちましよか。
いえ、いえ、それはかはいそう。
唄を忘れた金糸雀は
象牙の船に、銀の櫂
月夜の海に浮かべれば
忘れた唄を想ひ出す。

など、郷愁に満ちた懐かしい唄の数々を生んだ童謡詩人である。

 それに彼は生まれも育ちも牛込であり、以後、五十歳すぎまで柏木に住んだ新宿区の人である。そこで新宿との関わりを主として話を進めることにしよう。

 明治二五年一月一五日、父西条重兵衛、母徳子の三男として牛込払方町一八(現在も同町名、同番地)で生まれた。九人兄弟の七番目。家業はもともと大きな質屋であったが、父の代には住み込みの徒弟四〇余人を抱え、当時珍らしい石鹸製造、輸入石鹸の販売を手広く営み、相当の資産を蓄えたようである。すぐ近くの私立桜井尋常高等小学校(市谷砂土原町三丁目四、今はなし)に入学。ついで、私立早稲田中学校に入学。当時の教師には浜田青陵(のち京都大学総長)、坪内逍遙、田辺尚雄(音楽評論家)、浮田和民(倫理学者)などがいた。

 明治三九年、彼の人生を左右する出来事が二つ発生した。三年生になった四月初め、英語教師として吉江喬松(狐雁)が赴任し、以後多大な影響を受けて進むべき道が示されたこと。もう一つは、五月二五日の父の急逝である。父の遺産は莫大で土地が大久保駅近くに一万余坪、西大久保に三千余坪、その他所々に土地と家を持っていた。兄英治が相続するのが当然と思われていたが、父は放蕩の限りをする兄に愛想を尽かし、生前に廃嫡していた。しかし、八十はそれを知らされていなかった。

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