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家数五二(現在は世帯数八千、一五四倍と驚異的に増加している)。 |
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古からの商(あきな)い家は十軒、これは農業の暇に酒・酢・醤油・油・茶漬・草履(ぞうり)・鼻紙・水菓子(果物)・荒物類を売っている。 |
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やもめ(一人者(ひとりもの)の男も含めて)は十軒程ある。 |
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髪結床(かみゆいどこ)一軒 百姓儀五郎。通りに面して農業の外髪結をしている。古から村の決まりがあり、御用屋敷の近くの出火には駆け付け、将軍の御成の時には道掃除などを行う。 |
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当村の飛地が西多摩郡片山村(現在の中野区江古田(えごた)・松ケ丘付近)にあり、高十一石程。 |
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農業用水は北の川(井草川)から草で堰(せき)をして引き込んでいる。堰は毎年三月から八月まで。しかし、旱魃(かんばつ)や水害に悩まされている。 |
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五穀の外、菜・大根・芋(いも)・茄子(なす)・白瓜・牛蒡(ごぼう)・苅豆(かりまめ)・にんじんを江戸に売りに出ている。 |
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年貢米は浅草御蔵(蔵前)まで三里余を車で運んでいる。 |
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農閑期には男は前栽物(野菜)を江戸に売りに出、肥料を用意、女は薪の用意をする。 |
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飢饉(ききん)の時は芋の葉、大根葉を多く用い、畑の境には雑木を植えている。 |
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非常の際の籾貯穀(もみちょこく)は百姓四郎左衛門に預けて管理させている。 |
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高札場は村内入口字坂下の道端にある。これは百姓栄蔵の家前にあるので前々から見廻りを申し付けている。 |
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馬捨場一ケ所、字栗原下。 |
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中仙道(なかせんどう)の下板橋宿へ伝馬定助郷を勤め、その外御鷹野(将軍の鷹狩り)御用人足を勤め、杉の葉・榧(かや)の葉・虫の上納。 |
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田畑質入値段は、上田(じょうでん)一反(たん)に付き金二両位、中田(ちゅうでん)は金一両二分位、下田(げでん)は金一両位、屋敷一反に付き金三両位、上畑は金一両二分位、中畑は金一両位、下畑は金三分位。(土地の売買が許されていなかったので、名目を質入れとしている。一反は三百坪、一両は現在の十万円位、一分は一両の四分の一) |